過程と結果、どちらが重要視されるかの考察

よく議論になっているのが
「過程が評価されるべきだ」というものと
「評価は結果が全てだ」というもの。

結論から言っておくと結果が先に評価される。

だが結果が評価されているからと言って
過程をないがしろにしていると面倒事になる場合がほとんど。

例えば戦争で勝ったのだとしても
勝った事は評価されても
戦争中にやった事は後で酷評などが飛び交ったりする。

つまり
「結果が評価された場合の
その後に過程の評価がついてくる」事になり

「どちらかが評価される」のではなく
「後で変化の訪れる評価」として分類されると考えられる。

3つのパターンで例えると

①創作などでよくある話

素晴らしい発明をしたにも関わらず
発明の過程で使用された「モノ」が

本来、使ってはいけないものだったから
その研究から追放されたという話。

倫理的な問題があるとされる研究の後に
後世の人間の役に立つものが生まれるから
あれは必要な犠牲だったと
キャラが主張する作品も中にはある。

だが人間の同調圧力というものが
それらを排除しにかかるものであるため
封印されがちな過程だったりする。


②勝手な情報の遮断

「自分の息子にはいかがわしいものは
一切見せないようにしている」
と言っている人がいるが

自身の同調圧力によって成長過程の段階で
特に害の無いものを遮断することにより

結果が出てからの遮断よりも
かえって悲惨な結果が出やすくなる状態になる。


③人の技術的なもの

ツイッターなどでイラストを描いてる絵師が
「描いたら下手でも人に見せよう」
という主張をしている人がちらほらいる。

つまり過程は結果が大きければ大きいほど
それに比例して注目される事になる。

他人の絵をパクってバレた人が
それで周囲から散々非難されるように

大きな注目を集めるものであれば
周りの人はその過程を知りたがるようになり
みんなそちらにも目が行くようになる。

バレなければいいと思ったとしても
その技術を元にしようとする者が出てくるため

注目されてる分、途中の段階で
何かがおかしい事に気づかれるので無理な話になる。



つまり

「努力はするべきだが結果が出るまで
過程である努力が評価されることは無いため
その過程が評価されるほどの結果が出るまで
正しい努力を続けなければならない」

という事になる。

昔から「天才に敵うわけがない」と
挫折していった人たちはここでつまづいたのだろうし

「努力していればああいう風になれたんだろうか」
と後悔するのもこれだろうと思われる。




自分で書いてて精神にくる…

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