形骸蛇足
デュエリストカップが始まったので
ついでに青眼デッキのほうも
色々と弄るかと思って新たな計測をするのだ。
本当は独自構築のほうで
やるつもりだったけど
やり方や点数の付け方が
いまいちわからなかったので
まずは青眼デッキで試すことにした。
ちなみに今回使ってる計測形式は
カードに点数を付けて初手5枚の
合計点数でバランスを測るというもの。
低くても危ういし高すぎても
ダメという基準のやり方なのだ。
というわけでざっくり点数を付けて
コードで15万回シミュレーションしたら
計算上の初手期待値は0.775で
合計スコア平均は約3.88になったのだ。
数値上は満たしてるように見えるけど
使ってみたら謎に事故が多かったりしたので
原因となるカードを入れ替えて
また計算し直すというのを
繰り返さないといけない…面倒くさい…。
先攻では使えないカードは
多く入れるとその分事故率が高まるから
まずは必要なものだけにして
先攻と後攻の両方で動けるように
採用するカードの見直しとかするから
一応「こうすれば(考えれば)いいのかぁ」
となるので割と参考にはなってる。
ちなみに独自構築で作ってるこのやり方は
コントロール系デッキの構築方法らしく
初動率などではなく手札にあるカードを
組み合わせて使うのでよくある
パワー系ゴリ押しデッキとは異なるから
組み合わせをおろそかにすると
事故って死ぬことになるのだ。
青眼ハイランダーも似たような作りだけど
あっちは細かいデータを元にしてるから
ざっくり目安で作ったこっちのとは質が違うゾ。
実戦計測のスコアでやったほうが
いい気もするけどそれだと
色々ズレる気がするので
やるにしても目安やざっくりを
優先した計測から先にするものとする…。
手札をコストにするカードと
コストにしてもいいカードの比率とかも
色々掘り出してそれを元に作るつもりなので
上手くできるかはともかく
色々試して積み上げる所存にござる。
最近クレヨンしんちゃんの映画を
ちょくちょく観てるんだけど
原作者が生きてた頃までと
いなくなってからでだいぶ違うし
昔のほうが面白い理由も一応わかった…。
原作者が生きてた頃のやつは
「いつもの日常を過ごしてるところに突然
何かしらの非日常的な存在や事象に巻き込まれ
最初はめちゃくちゃ戸惑ったりするものの
途中から覚悟を決めて元の日常を取り戻すために立ち向かい
なんやかんやの艱難辛苦を乗り越え解決して
最終的にみんないつもの日常に戻っていく」
って感じなのに対して
作者がいなくなってからのは
「選ばれし者としての責務」
「何かの英雄譚の主人公」
的なのがほとんどになって
野原家の描写も「野原家の日常」ではなく
知らん誰かの日常妄想風景の投影で陳腐化してて
「野原家を騙る何か」となり
存続のための売上優先とはいえ
やっぱりエンタメにビジネスや
そういう意識を強く介入させてしまうと
つまらなくなるんだなという事だけはわかった。
𝕏でよく万バズしてるのも昔のネタや内容で
大抵は原作者が生きてた頃のばっかりだしね。
(𝕏利用者の年齢層的に必然ではあるが…)
まどマギも面白くはあるけど
曲が世界観に合ってるかといえば
最初らへんだけで利権関係とかがやたら
ガチガチになってしまってるし
まどドラの音声素材使えなくてムカつくぅ…。
マギレコ界隈出身のやつらが
我が物顔で騒いでたのが原因なら
それはもう仕方ないとしか言えない…。
ゆえにやつらは撲滅すべき(豹変)
ラクガキングダムは陳腐化してるけど
嫌いじゃないなと思ってたら
原作者が以前描いた話が元ネタだった模様。
そして俺にとってはこういうのに関して
「そのキャラ(作品)らしさ」みたいなものが
最も重要でこれがブレたり崩れると
対象への興味を急激に失うんだなと思った。
(変わるのではなく「ブレる」か「崩壊」)
これに関しては個人的な感性と
言いたいところだけど色々な反応を見てると
「大衆は基本そう」って感じだけど…。
あとチェンソーマンのレゼ篇にちょっとだけ
夕陽のカスカベボーイズを重ねてると
チェンソーマン作者が明言してるのはびっくりした。
なんか近頃人気作描いてる作者が
「これが元ネタです!」とはっきり
明言してるのをよく見かける気がする…。
進撃の巨人の作者は
「マブラヴオルタをパクりました!※」
的な話をインタビューで普通に言ってたし。
(マブラヴオルタはちょっと興味あるし
調べたわけではないけど進撃の巨人の
元ネタとなるとどんな展開か
だいたい察してマブガルの平和的影響もあり
見るのも調べるのも怖いので見たくない)
まぁあんな感じで「らしさ」を貫けば
後の人たちに強い影響を与えられるっぽいけど
陳腐化したものはほぼ影響力が無くなって
話題にすらならなくなる傾向が強い、
というのが新旧クレヨンしんちゃんを観てて
個人的に思ったことなのですよ。
陳腐な題材を取り扱っても
受け入れられてるものも
根本的には「らしさ」があるもんだし。
(かいけつゾロリがいい例)
そう考えると原作者から作品を切り離して
コンテンツとして作るようになった
遊戯王は本当に奇跡だなぁ…と思ってる。
この記事へのコメント